放牧酪農を推進することによって以下のことを目指します。
- 豊かな大地と自然を守り、次世代へ引き渡します。自然が豊で心が豊かな暮らしたくなるふるさとづくり、訪ねたくなる農村の文化づくりをします。
- 放牧牛乳と乳製品を通して、自然の豊かさ・力・調和を分かち合います。
- スタッフ一人一人が豊かに成長をするお手伝いをします。
- スタッフの一人一人はパワースポットです。人と人との豊かさの循環を生み出します。
このロゴは牧場に暮らしている私たちが、豊かな心を日々はぐくむ誓いです。
この牛のまなざしのような愛をもって、豊かな心をもってとこしえに自然・人・自分に向かい合いたいという祈りです。
ありがとう牧場のロゴの絵はニュージーランドでお知り合いになった小関綾子さんが次男の仁里の誕生(2005年10月20日)のお祝いに描いてくれたものです。原画では金色の光が降り注ぎ、落葉が舞い落ち牛の足元に積もっています。小関さんご家族は、私たちが長女を2004年に事故で亡くしたあと、暖かく見守っていてくれました。
ありがとう牧場のロゴの文字は写真家の伊藤健次君に書いてもらいました。大学時代に同じ山スキー部で山への旅をした友人です。
絵を見て素直に思うことは、牛が母なる自然で、赤ん坊がわれわれ人間であるということです。しかし現在の人類の文明は、自然・地球を人間が守る必要がある。逆にわれわれがこの絵に描かれた牛のまなざしのように、地球に対する愛を求められている。
自然の中で牛を飼って生きていると「世界は天国だなあ」と思う。草しか育たないこの足寄の山の中でも、牛を野山に放していれば豊かに暮らしていけるのだ。私たちに必要なのは豊かな心、無から富を生み出してくれる自然の豊かさを分かち合うことである。
大学を卒業してから牛に導かれて今の自分があるので、このロゴを見ると「牛にひかれて善光寺」という言葉を思い出します。この言葉は私が幼いころから慣れ親しんだ言葉です。ふるさと長野県上田市の近くに布引観音があります。
小さい時に家族で自転車で旅行をした暖かい思い出があります。 「牛にひかれて善光寺まいり」とは、布引観音の近くに住んでいた慾の深いおばあさんが、ある日洗濯物を干していると、牛が洗濯物の布を角にひっかけて歩いて行ってしまう。おばあさんはその牛を追いかけて善光寺に導かれる。というお話です。
次に思い出すのは十牛図です。人が悟りに至るまでの過程を10枚の絵で表したものです。十牛図では牛は「真の自己」をあらわすのだそうです。自分も牛にひかれて今の自分があります。自然と同じくらいの豊かな心でこの自然と向き合ったら、どのような生き方ができるのか生き方をするのか楽しみです。このロゴは牧場に暮らしている私たちが、豊かな心を日々はぐくむ誓いです。この牛のまなざしのような愛をもって、豊かな心をもってとこしえに自然・人・自分に向かい合いたいという祈りです。
化学肥料・農薬は一切使用いたしません。
化学肥料は使い方によって全く問題はありません。堆肥が近隣の農家から手に入るので、冬の間の自家堆肥と合わせて使用しています。放牧をしていると草地更新が必要なくなるので、除草剤は必要がありません。
採草を毎年繰り返していると、雑草が牧草地に入り込んできます。そのため5年から10年に一度、除草剤をまいて雑草を駆除して畑を起こして牧草の種をまいて、新しく牧草地を造りなおさなければなりません。
放牧ができない冬のための貯蔵飼料は乾草です。夏の間に草を刈って、乾かして、収穫して、乾草庫に貯蔵します。乾草を収穫していると、夏の間のお日様の温かさを缶詰めにしているようです。
一方、ほとんどの酪農家はサイレージを収穫します。サイレージとは牧草を刈った後に、乾燥を完全にしないで、水分を含んだままプラスチックのシートで空気を遮断して乳酸発酵をさせて草を保存する方法です。
ありがとう牧場では、サイレージを作るときの大量のプラスチックごみが嫌で、すべて乾草を収穫しています。
乾草には他のメリットもあります。乾草はサイレージに比べて収穫する時に軽いので、トラクター、収穫機械が長持ちします。
ありがとう牧場では毎年、放牧酪農を目指す若者と共に働いています。目的はニュージーランドの放牧技術の共有です。ニュージーランドの学校の先生が、学校で教わった通りに放牧をすれば、家の牧場に帰った時に、お父さんの牧場の年間乳量の記録を更新できる。と言っていました。
ニュージーランドでは放牧草の量、生長率が数値化されていて、それに応じて管理する教科書ができています。ありがとう牧場では数値管理まではやっていませんが、少しでもニュージーランドで学んだ体験を伝えたいと思っています。
北海道産の子実コーンを2018年より使い始めて、放牧期間は道産飼料100%となりました。
一日一頭当たり子実コーン1.5キロとビートパルプ1.5キロをパーラーで搾乳をするときに、食べさせています。ビートパルプとはさとう大根の絞り粕を乾燥したものです。もともと、遺伝子組み換えでない飼料を探していました。遺伝子組み換え作物と農薬はワンセットであること。その種子と農薬を大企業に独占されて、その経費でアメリカの農家が苦しんでいると聞いたからです。
ありがとう牧場の放牧牛乳と市販牛乳(成分無調整)を味覚センサーで測定しました。市販牛乳には、放牧した牛の牛乳はほぼ含まれていません。
検査の結果、メーカーによる差はほぼないことが分かり、ありがとう牧場の放牧牛乳は6つの味覚において市販牛乳を大きく上回る数値が検出されました。特に数値が高かった「渋味刺激」は、「果実味・深み・複雑さ」という言葉で表現され、放牧牛乳の味わい深さを示しています。
縁があって初めて牧場を訪れたときは、これは大変だと思いました。それほどの急傾斜がある牧場でした。同じ放牧管理でも平らな所の方が楽ですからね。採草できないところは耕作放棄地になって、背丈の2倍ほどある灌木が生い茂っているところもありました。今では、自分のことを耕作放棄地請負人と呼んでいます。この牧場は自分にしかできなかっただろうと。土地の神様に呼ばれたのだと思います。
2000年に足寄の高台の戦後開拓地でスタート
2000年6月1日に代表の吉川友二が足寄町に移住、30頭の離乳子牛を飼い始めたことからスタート。
2001年3月に千枝と結婚をして千枝が参加しました。前年に買った牛に種を付けました。
2002年の2月から、昨年種を付けた牛が子供を産んで、搾乳が始まりました。
譲り受けた農場は、かつて肉牛の繁殖と乾草の販売をしていた農場でした。搾乳するパーラーを建てて、ビニールハウスを建てて冬はその中で飼う予定でした。ところが2002年の春になってもパーラーは着工さえしていない。
もともとあったトタン作りの建物、いわゆるD型の中に単管(足場組立用の鉄パイプ)とそれをつなぎ合わせるクランプで枠を作り、パーラーにしました。水は出ない、電気屋さんに電気だけは引っ張ってもらいました。下は火山灰。洗浄は家へミルカーを持って帰って洗います。
バケットミルカーで4頭ずつ搾っては、また次の4頭を入れます。我ながら、傑作のできのパーラーでした。新しいパーラーが完成した7月14日まで水の出ないD型で搾乳をしていました。
ありがとう牧場ではニュージーランドでの放牧の経験をスタッフと共有しています。
ありがとう牧場の特色は、毎年酪農を目指す青年と一緒に働いていることです。卒業生は新規就農をしたり、実家の後を継いだり、酪農関係の仕事をしてくれています。
2002年の4月、酪農学園大学を卒業した渡辺耕次君がやってきました。妻の千枝も牧場の仕事をやる気満々だったので、お断りをしたのですが、渡辺君のゼミの先生の荒木和秋先生が、千枝がお産したばかりで働けず吉川が一人で頑張っているのを見て、車に乗せて助っ人を連れてきてくれました。
それをきっかけに毎年、若者がありがとう牧場で働くようになりました。それができたのも100haもある広い農場があるからです。私のニュージーランドでの4年間の体験を共有できることになりました。あらためて、この牧場は土地の神様に呼ばれたのだと思います。
ある朝チーズ職人が、鍋とカセットコンロを持ってやってきた。朝の搾乳の最中に搾りたての乳でチーズを作った。2007年のことである。
本間幸雄(さちお)との出会いである。当時本間は新得町の共働学舎でチーズを作っていた。本間は自分の作るチーズの味が思い描く味にならなくて悩んでいた。フランス人のチーズのコンサルタントに相談すると、それは牛乳が違うからだと言われた。フランスのチーズは放牧牛乳から作っている。フランスでは美味しいチーズが食べたいがために、放牧酪農はなくならないそうです。
それから本間は道内の放牧酪農家を回ってチーズを作った。
その翌年、酪農の現場も学びたいとありがとう牧場で一年間働く。いったん共働学舎に戻り、ありがとう牧場と共に2013年、「ありがとう牧場しあわせチーズ工房」を立ち上げる。
2015年には「しあわせチーズ工房」として独立し、ありがとう牧場の乳を使ってチーズを作っている。
2018年5月19日に北海道子実コーン組合の会長の柳原孝二さんに会いに長沼町まで行きました。
畑作農家にとって、トウモロコシは、畑の土作りに欠かせない作物なのです。根が土の中に深く入ること。実を収穫したら、残りは緑肥として畑の土壌を豊かにしてくれる。
しかし、補助金がジャガイモと小麦には出て、トウモロコシにはなかったので作れなかった。飼料作物に対する補助金が出るので、トウモロコシが作付けできるようになったそうです。
畑作農家の救世主はトウモロコシを輪作体系に入れること。酪農家の救世主は放牧です。